オリジナルスピーカー『Veng Teng! / 弁天』
マカバレコードのパートナーでもある音楽プロデューサー上野義美氏のインスピレーションによってデザインされた優れもの。デザインした本人が実際にその音を聴いてぶったまげてしまったほどです。
その音のクオリティについてボクが以前紹介したときの記述を再び抜粋すると
「これでバッハの『無伴奏チェロ組曲』を聴いたらヨーヨーマがそこに出現してしまいました。本当です。それまで聞こえてくることのなかった彼の息遣いがはっきりと聞こえてきます。弦の上を滑る指の音、身体のうねりに応じた床のきしみ、これらの音が<臨場感>と言ったレベルを超えて、彼の存在することの証として知覚されてしまうのです。」
実は先日ありえないシンクロニシティが起こって(っていうかそれがシンクロニシティの本質だけど)、某国王室ご用達の500万円もするスピーカーを視聴する栄誉にあずかった。上野さんとボクはさっそくヨーヨーマの同じCDをもって我らがスピーカーとの違いをみるべく拝聴しに行った。
・・・それはそれは高価な音でした(笑)。
実はギドン・クレーメル(ヴァイオリニスト)の『シャコンヌ』(バッハ)も持っていったんだけど、彼独自の感情の高ぶった演奏がまろやかに優しく沁み込んで来てしまうのには正直驚いた。ふんわりとした繊細さが心地よく耳に浸透してくる・・・まるでマジックにでもかかったかのような音の柔らかさ。研ぎ澄まされたヴァイオリンの高音域が何故か軽やかに耳の中でこだましている。
ヨーヨーマのチェロもしかり。荒々しい重低音の響きだった箇所がまろやかになって溶け込んでくる。
なるほど、これが500万円の音ですね。
でも・・・聞こえてこないのですよ。ヨーヨーマの息遣いが・・・弦をすべる指の音が・・・床の軋みが・・・すなわち彼の存在が感じられないのですよ。良く言えば音楽そのものが純粋な調べとして響いてくる、とも言えるけど。
これは好みの問題と言ってしまえばそれまでかもしれない。
上野さんが面白い喩えを言った。
「あれはね、ようするにきれいにメイクアップした音なんですよ。確かに美しいですよ。だけど正直、俺は素顔のほうが好きなんだよな~」
ボクの意見もまったく同じだ。補足すると世界最高峰のメイクアップ・アーティストによって、どこから見てもため息の出るような美しさを引き出された清楚な美女のイメージ。それが500万円のスピーカーの音だった。もう見てしまったら惚れてしまうしかないような、でも背伸びしても届かないような美しさ。
でもボクもやっぱり素顔の美しい女性が好きだ(笑)。素のままであることによってその人の本質が直接的に滲み出してくるような、こわばりが一切ない瑞々しい美しさ。
「弁天/Veng Teng!」はまさに音源からそのような要素を引き出すスピーカーである、ということが明確になった貴重な体験だった。
『弁天/Veng Teng!」』という名前について
ボクは当初から”スピーカー”という名詞に疑問をもっていた。speaker・・・すなわち「喋る人」。音楽を鳴らすのに「喋る人」はないだろ、と。そりゃ、ラジオが主流だった昔は音声による情報供給源として機能していたわけだけど・・・もはや時代の変化に適応していないにもかかわらず変更が面倒になって放置されている法律のような感じがしてしまうのはボクだけだろうか(笑)。
だからマカバレコードとしてはスピーカーという呼称に対してオリジナルな名詞を創出しようと決めていた。しかも日本的な響きが望ましい、と(なんとなく)。そのルックスからして「波動砲」というのもありだと思ったけど「砲」では戦争というイメージを喚起させてしまう。だからもっと古典的で本質的なネーミングを立ち上がらせたかった。
で、出てきたのが「弁天」。マカバレコードとして3月には音楽・芸能の神を祭った弁財天天川神社に祈願書を奉納してきたことだし、バチは当たらないだろうぐらいな軽い気持ちだったが、よく考えてみると弁財天=弁天様は弁舌の神様でもあったのだった。
弁舌の神、すなわち God of speaker・・・!!
つまり「弁天」こそ"speaker"という装置が本質的に持つ機能(音楽・音声による情報=エネルギーの伝達)を見事に表現しうる言霊であったのだ。
だからもう「スピーカー」とは呼ばせません。
(タンクオーナーの徒然日誌 8月14日 記 より)

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